くすのき定住8年目日記 No.1
我が家の家電事情
高田夏実
ボヘミアン日記に月の電気代が14$という話が出てきたので、我が家の電気事情について書こうと思う。我が家は私・夫・5か月の息子(寿)と猫2匹(稲荷と司)と暮らしている。電気代は毎月1000円~1200円。いわゆる家電は、冷蔵庫と洗濯機を置いている。時々、納豆をつくるために発酵機を使う。あとは照明とPC・スマホの充電機だ。
実家での暮らしを振り返ると、家電が多くかなり場所を取っていたし、壊れたり、修理が必要だったりと気を遣うことも多かった。しばらく使うと家電自体がが何とな~く汚れて嫌な気持ちになることもあったし、家電周辺は掃除がしづらかったりもする。節約節電、余計なものは置かないという考えから家電を絞っているが、あまり非現実的な暮らしだとは思っていない。具体的には、こんな風に置き換えている。
以下、実家にあった家電と、今の暮らしの比較。
<食洗器>
これは実家にある家電の中で一番嫌いな家電だった!
狭いスペースの中に綺麗に並べる必要があり、さらにある程度汚れを落として食洗器に入れる必要がある。なので実家でお皿洗いをする時は、手で洗った方が余計なストレスが溜まらないと感じ、結局手で洗っていた。もちろん、今も手洗い。実家は5人家族なので、確かに1回の食事でかなりの量の食器が出る。だから食洗器…という考えもわからなくないが、そのたくさんの食器を1回の食洗器に頑張っていれる方がやっぱり大変だった。
<掃除機>
これは箒と拭き掃除(お掃除モップ)で代用。
ルンバのように勝手に掃除をしてくれる道具であれば家主の負担が減るのかもしれないが、普通の掃除機を使うのであれば、箒掃除でかかる時間とさほど変わらない気がする。舞い上がる埃対策として昔ながらの方法で、茶殻を撒き、それに埃を吸着させる。箒は狭い隙間もすいすい掃けるし、コンセントの長さを気にしがら家具の隙間を縫う必要もなくてそういうストレスは案外減った。猫がうちに来てからは、こまめに掃除する必要が出て来て、より家が綺麗になった。
<電子レンジ・オーブン>
電子レンジは不要。冷えたものを温めたい時は、フライパンで温めなおすか、蒸し器で温めることで対応できる。オーブン機能が欲しいと思うことはある。これは正直「我慢」の部類。あったらもっとお菓子とか作れるのに…とは思う。冬は、薪ストーブ下段のオーブンでグラタンなど焼ける。後藤家の次男・遼平は、薪ストーブオーブンでカップケーキを焼いていた。すでに、私より上級者。
ちなみに寿の離乳食がはじまったので、すり潰したおかゆや芋などを小分けにして冷凍している。普通はこれを電子レンジで解凍…ということになるが、小さな鍋に水を少しはって、湯呑を入れ、湯呑の中に解凍したいお米などをポンと入れて湯煎すればあっという間に回答できる。(レンジよりは遅い)
<トースター>
これも不要。食パンなど焼きたい時はキッチンについているグリルで焼く。高さが足りなくて、餅などは膨れた際に燃えるので注意!餅は、薪ストーブオーブンで焼いている。
<炊飯器・保温機>
お米を炊くのは、炊飯器より鍋で炊く方が早いくらい。今時の炊飯器のようにふっくらツヤツヤな炊きあがりとはいかないが、自分たちで育てたお米だから十分美味しい。それに練習・工夫でふっくらツヤツヤに近づけることができる。炊飯器がないということは、保温もできないが、それは問題ない。食べる直前に蒸し器で温めると、温かいお米が食べられる。
<テレビ・DVDプレーヤー>
無し。映画などはPCで見る。テレビがないと時間がゆっくり流れるような気がする。夫と会話が無い時、普通の家はいつも誰かがしゃべっているんだっけ?とふと考えて、あ、そうか。テレビを中心に場を共有している家も結構あるのかな、と気付いた。実家では基本テレビをつけているが、思春期で親と会話したくない…みたいな時期は、父親の戦略でテレビを消してコミュニケーションを密に取るような時期もあったな。ということで、きっとテレビがないことで密にコミュニケーションを取れる?のかな?
映像から学ぶことも多いし、排除するつもりはないのだけど、ひどい番組も多いし、今のところは無くていいかなと考えている。
<その他>
そういえば、コーヒーメーカーも実家にあった。我が家では、ハンドミルにハンドドリップで、夫が毎朝淹れている。
照明も、日中は太陽光のお世話になり(パネルじゃなくて、太陽の光)照明は夕方以降につけるのみ。日当たりが良い家だからこそできることだ。
ちなみに夏の暑い時期は扇風機を回している。新居1年目は扇風機無しで乗り切ったが2年目には寿が産まれたためさすがに熱中症が怖かった。雨の日や風のない日は扇風機に助けられた。
ここまでくると、洗濯機と冷蔵庫はいるのか?ということも、やはり考える。考えた上で、現在は導入中。まず、洗濯機について。
アジアの農村などで過ごした経験を踏まえると、本当はいらないよな、と心の中で思う。桶で足ふみ洗濯または洗濯板でゴシゴシして、がーっと絞って、干す。ただ日本で踏みとどまる理由としては、夏以外、乾きが悪い。だから脱水機能が欲しいと思ってしまう。
日本で洗濯機を使っていない人の記事を読んだことがあるが、脱水は諦めてやっぱりぽたぽたした状態で外に干すみたいだ。確かに、それはそれでありだと感じる。でも実際は、雨の日は…?とか、作業着も盛りだくさん出てくるし、子どもの服も汚れることが多いし、洗濯機までは手放せていない。これは結構、勇気の問題…。(生活にそれだけ時間をかけられる心の余裕の問題とも言うか)
残るは冷蔵庫。正直なところ、冷蔵庫の部分は「倉庫」状態。どうしても冷蔵しなくちゃいけないものは、案外ない。しかし、下段の冷凍庫が欲しくて置いている。猪肉や鶏肉、子どもの離乳食、種菌用の納豆など。塩蔵や発酵の力を活かして、冷蔵庫冷凍庫なくて問題なし!と言えたら、節電家の上級者だ。
今年は「塩」と自給を絡めるのが大きなテーマだ。塩はシンガラジャの備蓄塩がたくさんある。今余っているカボスも、塩カボスにして発酵調味料にしよう。
人は窮地に追いやられると自分でも驚く程の力を発揮する。今、都市的な暮らしをする中で欠けているのは生活の中の窮地なのではないか、と思う。便利さが度を越えて、暮らしの中の「困ったな」が極めて少なくなった。「困ったな」は、人にとって面倒なものである一方、楽しさであり「よし、やるぞ」の生きがいだったりもする。その生きがいの欠如、あるいは暮らしの中の「困ったな」に対して心からうんざりしてしまう精神的なキャパの少なさがストレスフルな現代の象徴なのではないか、と思う。家電事情からこんなところまで飛躍するつもりはなかったが「ない」をネガティブに捉えず、工夫しながら前向きに突破する暮らしは面白い。先日、2週間インターンシップに参加した学生も「楠は不自由さを楽しむ場所ですね」と言っていた。
楠の暮らしは、こういうところにある。