夏休みのインターンシップで2週間参加した、山口大学・竹添さんのレポートです!
山大生が中心となって企画した「地域MIRAIサミット」での出会いがきっかけで、参加してくれました!
楠クリーン村で過ごした二週間は、とっても温かくて、非日常で、ここにしかないインターンシップでした。
特に私が心惹かれた楠の魅力について、お伝えしたいと思います。
まずなんと言っても、自然の美しさです。その中でも特に印象的だった炎と空について。
楠では薪でお風呂を焚きます。薪に広がる炎のその動きは予測不可能で、その美しさに心を奪われ気付けば二時間近く見とれていました。踊る炎の美しさ、崩れ落ちる炭から飛ぶ火花、パチパチと響く薪の音、その全てにどうしようもなく心惹かれ、全身で焚き火の素晴らしさを感じました。炎を見ていただけで疲労感も忘れ、満たされたのを強く覚えています。
そして、空です。楠で見る空はいつもより近く大きく、空の一部分を遮る建造物もありません。農作業を終えふと頭上に広がる空を見上げた時に、頭と心がさっぱり洗い流されたような爽快感をおぼえました。
どちらも、私が見ても見ていなくても静かにそっとあります。誰にも誇示することなくいつも美しい、そんな自然の魅力に気付くことができました。
次に毎日新しい体験ができることです。楠での生活は「自分にはこんなこともできるんだ!」の連続です。効率を求めて何でもお金で解決できる時代に、お金で買えない幸せや経験が溢れています。
早朝の草取りから始まる様々な農作業は心の底から楽しかったです。わくわくしすぎて、種芋を植えながら気付けばニヤついてしまっているなんてことも(笑)掘り起こした時の土のにおい、少し湿った感触。自分が暮らしの生産性に携わっている、誰かの役に立てている実感、今まで感じたことのない達成感に包まれました。
3つ目はスマホが必要ないということです。日常生活では毎日スマホに触れているのにどうしてだろうと考えてみました。例えば私は疑問が浮かんだ時、いつもはすぐにスマホで検索しますが、ここではとても詳しい人が目の前にいるので、疑問に思ったことを直接聞くことが出来ます。その答えは的確にして深淵で、示唆に富んでいて興味が尽きません。それに対して私の考えを言うことで、自分の理解が本当に正しいのかどうかがきちんと確認できるのです。また自分の考えを言葉にして伝え、相手の考えをじっくりと咀嚼することで、考えの幅が広くなったことを感じました。
次に、5人のメンバーがそれぞれの分野のスペシャリストとして能力を発揮し、かけがえのない存在として生活していることです。敬意を持って、お互いの出来ることを生かし、出来ないことを補いあっている姿に憧れました。
農作業や製造作業は、地味で地道で単純なことの繰り返しも多いです。目の前のことだけを見ていたら辛い単純作業も、視野を広く持って、「この結果を目指すためには、このペースでこの作業を終える必要がある」等の段取りを計算しながら協力して取り組んでいらっしゃることを知り、目が覚める思いでした。全体を把握したうえで、目下の問題に取り組むことで日常生活の密度も上がると思いました。
そして更に印象的だったのは、私も、ほかの人も、満たされているという実感でした。周辺1キロの狭い範囲から一歩も出ていないにもかかわらず、閉じ込められているかのような閉塞感は一切感じず、むしろ開放感でいっぱいでした。周りの人達もそうであるように見えました。ここには便利なものは何もありませんが、生きるために必要な全てがあります。スタッフの一人の「いろんなことをあきらめる覚悟でここに来たけれど、私は何ひとつ失っていない。もし何か無くしたものがあったとしても、それは今の私にとって微々たるもの」という言葉が忘れられません。
スマホと離れた2週間、私はかつてないほどの溢れる情報の渦に巻き込まれていました。ただネットで一方的に情報を受けていた時には感じたことのない強い感覚に戸惑うこともありました。それは、頭と心と身体を使うことによって、経験のひとつひとつがより深くインプットされているという実感でした。感じること、体験すること、思いを分かち合って共有すること、それらを咀嚼し吸収すること。そうしてやっと日々の体験が血肉となるのだということを、真に理解することが出来ました。
最後に、この2週間で自分のことをより知ることができました。自然に囲まれて生きることのあまりの居心地の良さに、魂から溢れてくるような幸福感に包まれました。楠の人のあたたかさ、ありのままの自分でいることの心地よさは感無量のものでした。感謝してもしきれません。最後になりましたが、楠のみなさん、本当にどうもありがとうございました。
山口大学 医学部保健学科看護学専攻2年
竹添民