中井俊作さん訪問 後半

 中井さんは、信用が何よりも大事だという。どんなに素晴らしいことを言おうが、信用されていない人の言葉なら、周りは聞く耳を持たない。中井俊作がどんな人間か、どんな暮らしをしてきたか、誰かに問いただされてもいいように、買い物をしたらすべてレシートをとっておき、今は目が悪くてできなくなっているが、自分が食べたものも一つ一つ記録していたそうだ。そして、中井さんはどうやったらうまく伝えられるか、ということも常に気にしている。昔ある雑誌に連載する文章を書いていたときは、何週間も机に向かってうんうん唸り、筆が進まなかったこともしばしば、私の滞在時にズームでミーティングを開いたが、その参加者の一人が涙したときは、その訳についてとても気になっていたようで、あとから理由を聞いて納得し、それを教えてくれたことにお礼を言っていた。食事の後に、中井さんが昔同級生に向けて書いた文章を読ませてもらったが、私にとっては現代文の模試にでてくる、数十年昔に書かれた小説のようで、言葉自体の意味は分かるが、気持ちまではよくわからないというと、実はそれはだいぶ砕けた感じで書いたものだったようで、本人は驚いて考え込んでしまった。

 中井さんは、昔から毎分毎秒、様々なことにこだわりを持ち、あらゆることを考えてきて、口を開けば70年分の思いがあふれ出すような人だった。私とはもちろん価値観の違う部分もあるわけで、納得できる部分、できない部分があったが、こんな「並外れた」人生を生きている人は、今の日本にそうそういない。学ぶことは確かにある。生活の知恵だってそうだ。意外と便利な七輪の使い方や火をつけるコツ、道具を作るのに向いた木の種類、服などの自分で作れないものはとことん大事に使うという姿勢、エネルギーの節約方法、消し炭の作り方・使い道、放っておいても育つ薬味とその調理法などなど。中井さんの生活を完璧に真似ろとは言わない。中井さんも、自身の生活を他人に強いるような人ではない。だが、今まで何の疑問も持たなかった自分のライフスタイルを見直してみてはどうだろうか。ガスコンロを使えば一瞬で火が付き、蛇口をひねれば温水のシャワーが浴びられ、お腹がすいたならスーパーにでも行けば食べ物が何でもある。これらのなんと「有り難い」ことか。ひとたび災害が起きれば、ガスは止まり、温水は使えず、流通も滞る。他人に握られた命の、なんと弱々しいことか。そう考えれば、自分で自分の食べるものが作れるというのは喜ばしいことであり、天候に左右されることもあるが、中井さんの暮らしというのは、実に「安定」したものである。継続的に一定の現金収入を得ることだけが、「安定」ではないのだ。今回の楠および中井さん訪問において、将来について悩む私の個人的な一番の収穫は、「就活に励み大学を卒業し、いい企業に就職」という、もっとも一般的で安定とされるルートを選ばなくても生きていけると知れたことだった。たとえ収入が少なくたって、自分で自分を養える人が、一番立派なのだ。