こんにちは!高田です。
段々と朝夜は涼しい日が増えてきた楠です。
19日~21日の3日間、午前中を使ってボーボーになったお茶畑の草取りをしました。
本当はこんなにもボーボーにしたくないのですが、やはり除草剤を使用しないお茶栽培の苦労がここにあり、別の畑の草取りが終わったら、今後は前回草取りした畑の草が生えてきているという状況です。
日本って、本当に雑草が生える国です。
そりゃ当たり前でしょう~と思うと思いますが、実は欧州ではこれほど雑草が茂る国は少なく、日本で有機栽培が広がらないのは雑草の壁があるからという指摘をよく見かけます。
そのくらい、日本で有機栽培(無農薬栽培)をすることは雑草と付き合いは避けて通れないものです、最も苦労する点と言っても過言ではありません。
今回の畑はイシミカワという棘の多い蔦植物・自然薯の蔦・そして大きくなった蕨をなるべくスピーディに抜いていきました。
草取りをしていると、はじめは「指筋が疲れてきた」とか、「トゲが刺さるな~」などと思ったりしているのですが、段々没頭してきて気付いたら端から端までの草取りが終わったりしています。
それで今日思い出したのが(といっても思い出したと言えないくらい曖昧な記憶なんだけど)
岡倉天心の「茶の本」に、日本人にとっての修行は坐禅などに限らず日常の中にもあった。
例えば雑巾がけとか、それこそ農作業などを通して無の境地に達する。
この無や、0になるというのが日本的価値観の土台にあるというような話を書かれていました。
そういうものって今の日本人にも無意識のうちに継承されているものだと感じます。
製造や農作業なんかをしてる私たちを海外の研修生が見ると「日本人は無駄話もせず黙々とやって真面目だ。」という感想が出てきたりするのですが、真面目ってのはちょっと違うかもしれませんね。
もっと、なんていうか、その作業に入り込んで没頭してるみたいな感覚です。
時間が過ぎるのも忘れて。
え、今何時だっけ?みたいな。
その間は疲れも、退屈さも感じてなくて全集中しているようなモードがONになりますね、私は。
他の日本人のことは私はわからないですが
でも初めてインターン生に来る学生たちなんかも、無の境地でしたとか気付いたら没頭していました!とかいう感想がちらほら出てきて。
これってなかなか海外研修生から出てくるセリフではないことを考えると、日本的性質なのかもしれないな、と思いました。
全体よりも、部分や細部に没頭して、気付いたらすごいもの出来てた!というような物を生み出す文化とも何か近いものを感じます。
ビジネスだと全体(世界の流れ)やニーズを見ずに、変なもの作って…と言われがちな日本ですが、サブカルチャーが次々生まれてくるということともしかしたら紙一重なのかもしれません。
儲かるとかウケるかはさておき、こんなのできたら面白いというマイワールドに没頭。結果としてサブカルチャーに繋がっていく流れがありますよね。
またいつものように飛躍しすぎましたが、お茶の草取りに没頭しながら考えた、日本的性質についてでした。