遠隔地でコミュニケーションをとること

 私自身の働き方がもともと東京のオフィスにずっと座っていることがなかったので、すでに20年以上前からパソコンを持って地方に出張に行ったり、プロジェクトでしばらく東京に戻らないこともあり、メールで連絡や報告を入れることが身についていました。特にここ10年はインドネシアやミャンマー、カンボジアの田舎にいたりして、目の前に見えない人とやり取りをすることが当たり前だったので、コロナで加速したリモートワークを先取りしていたところがあります。発送しないといけないから倉庫に来ないとできない、お客様がいるからお店・施設に立たないといけないという仕事内容ではないからできるのですが、大阪にいながら楠の若いスタッフやインターン、そしてカンボジアにいる日本人スタッフや若者たちから相談を受けたりしています。

 私たちは日報で報告することが当たり前になっているのですが、書き方は人それぞれ。先日、ある若い楠のスタッフに、「遠くにいても読んだ人が想像できる日報を書いてほしい」とリクエストしました。これは自らの経験なのですが、昨年4月までカンボジアでプロジェクトを推進している時に、日本にいる仲間に予算や人員配置などを相談し進めることもよくあります。しかし、相談相手がカンボジアに来たことがない中でも一緒に考えてくれるわけで、現場の状況が見えない相手が判断できる材料を日々共有しておくことが大事だと思うからです。なるべく写真を入れたり、現在の敷地内でどの生徒が誰と一緒にどこで寝ているか、今日はお菓子を生徒たちと一緒に作っていたら案外この子は手つきがよかったとか、外国人のお客さんが来た時にひるまずに英語で話していた、上級生の風を吹かせて自分で努力して汗をかかずに下級生に指図してやらせていた、など。1つ1つは些細な出来事なのですが、私たちは生徒たちと共同生活だったので日常の素顔や性格というのが、その子のどういう特技を伸ばすか、リーダー向きかの判断材料になったりもします。日記のように長い日報なので、読む人も苦労だとは思いますが、私が記憶をたどる時にも役立っていました。

 その後、単にやったことの箇条書きでしかなかったそのスタッフの日報が、他の日報から書き方を学んで、時系列で何時からどれくらいこんな仕事をした、自分の手応えや感想などを添えて書いてくれるようになり、ぐっと理解ができるようになりました。

 こうやって離れているからこそ、お互いに相手の状況を想像する。たぶん意中の相手のためならばそれができるんですよね。恋愛だけでなく、仕事においてもよりよく運営できるように同じような気持ちで取り組むことが大事だなと思います。