自由に表現できるということ

 こんにちは、奥谷です。ただいまミャンマーから来た女性スタッフと一緒にインドネシアで仕事をしています。彼女は「どこでも人材」といって、どの国に行ってもこれまでの経験や知識、汗で役立つ、そんなメンバーをアジア全体で広げていきたいと思っています。英語はもちろん問題ありませんし、ごはんの時に顔を合わせてポイントを伝え、あとはそれぞれ進めるという意味では一緒に過ごしていてもとても楽です。

 彼女は内紛の続くミャンマーから来ました。国内にいる時は、いつもネットでつないでもなんとなく口幅ったい物の言い方というか、要件が済めばなるべく早く切りますし、すごくやりづらそうでした。それはいつどこで誰が盗聴やメールなどの検閲などをしているかわからないという緊張感からでした。

 日本だとにわかに信じられない話ですが、もしも誰かに読まれ、勝手に私は危険人物だと解釈されることがある前提の社会だったらどうでしょうか?気軽に友人に連絡をしても、それを何か怪しい仲間づくりをしていると受け取られたり、そんなことを気にしながら電話やメールなどをする日々が2年以上もミャンマーでは続いているのです。

 国を離れて、自由になったことで彼女はイキイキしています。それだけ権力で抑制されるということがいかに人々を委縮させるかということです。世界のことをもっともっと知らなければいけないなと彼女と仕事をすることで痛感しています。